修理塚・首無し地蔵堂

   修理塚は、鶴岡市櫛引支所(旧櫛引町役場)の北北西方、下山添えにある。山形城主最上義光の嫡男で十二代の修理太夫義康は、家臣の土肥半左衛門の陥れによって待ち伏せに遭い、ここで首をはねられたという。慶長8年(1603)8月16日の事であった。義康はこの時29歳だったといわれている。村人たちは哀れんで手厚く葬り、この地を修理塚と名づけ、二体の石像を祀ったという。それが首無し地蔵となった。尚、義康の菩提寺は鶴岡の常念寺といわれている。修理塚は町の指定史跡となった。

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修理塚・首無し地蔵堂

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修理塚・首無し地蔵堂の解説。

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